某中部都市住まいの親父です。
先日、小学生の息子を箱根関所の博物館に連れて行ってみたところ、まあまあ興味深そうに観覧していたのですが、
ふと息子に「お父さん、関所って何?」と訊かれ…。なんとなく「お前は誰だ!そうか!通れ!」みたいな感じだろうとは思うのですが(雑)。
改めて問われるとうまく答えられないもので。私も興味がわいたので調べてみたいと思います。
関所で取り締まり「入り鉄砲出女」が必要だった理由とは?
そもそも関所とは、「交通の要所要所で検問などのために設置された施設のこと」。(こう、すんなり説明できたらよかったんですが、咄嗟に出てこなかった…)
日本では古くは飛鳥時代から関所があったという記録があり、当時は都を守る役割を果たしていたようです。
「入り鉄砲出女」
こんな言葉を時代劇でも耳にしたことはありますね。
関所での検閲で特に警戒されたものをまとめた言葉で、この「入り」と「出」には「江戸を」と言う目的語が隠れています。
つまり「江戸に持ち込まれる鉄砲と、江戸から出る女には気をつけろ」ということですね。
鉄砲については、江戸幕府へのテロや転覆活動の防止策。
そして女とは、江戸時代に、幕府の監視下に集められていた諸大名の妻子のこと。
人質が国に逃げ帰ってしまうことがないように厳しいチェックをされていたということです。
戦国時代に武力や智謀で天下統一を果たした徳川家が、幕府の安泰を図るために様々な対策をせざるをえなかったことが伺えます。
徳川幕府というリーダーを戴きながらも、別々の国の連合体状態だったことも一つの要因なのでしょうね。
関所の廃止はいつ頃?なぜやめることになったのか?
日本の関所は、1869年(明治2年)になって、廃止されます。
人の移動の自由化が果たされたという見方もありますが、その割には、
この段階でも住んでいる土地からの脱走や脱藩を禁じる江戸時代のお触れは、明治に入ってもしばらくはそのまま生きていたようです。
そのため、明治維新で関所が廃止された意味合いとして推察されるのは大きく分けて二つの目的があったみたい。
第一に、明治維新で廃藩が一気に進み「日本という一つの国家」であることを内外に知らしめる必要があったこと。
第二に、その唯一絶対のリーダーが新政府=「天皇」であることを国内外にアピールするということ。のようです。
まとめ
関所について改めて調べてみたら、随所に時代背景や為政者側の思惑が感じられて、なかなか面白かったです。
これで子供にもしっかり説明できそう。箱根関所以外にもあちこちに関所跡があるみたいなので、機会があったら訪れてみたいものです。